翼 工 房 社 寺 建 築 設 計 事 務 所

心が宿る建築を住まいにも、祈りの場にも。

社寺建築設計で培った技術と感性をこれからは暮らしの中へ 心を込めて、あなたの住まいを設計します

社寺建築の事務所で長年設計をしてきました。
力強い柱の納まり、光の入り方、風の抜け、余白の取り方、—お寺は「何もないようで、全てがある」空間です。
 
そうした空間の「構成力」「静けさ」「時間を受け入れる設計」は、今の住宅にこそ必要だと感じています。
 
ぼくは、“和風の家”を作りたいわけではありません。
モダンでシンプルな住まいの中に、社寺で学んだ“空間を整える力”を活かし、住む人が自然と深呼吸できるような設計を目指しています。
 
家は道具ではなく、心の居場所です。静かに、芯のある住宅を、丁寧につくっていきたいと思っています。

静かに、強く、ひとつめの家

北の景色から始まった静かに光を迎える

社寺建築ばかりを手掛けてきた自分が、住宅を設計する—その“らしさ”とはなんだろうか、と。

 

それでも、一つだけ信じていた事がありました。

「見えないものを整える力」は、寺でも家でも変わらないはずだと。

 

この家では、光と風の通り道を一番に考えました。

 

敷地に立ち、最初に頭の中に描いたのは、北側に開く大きな開口部でした。

日差しではなく、“静かな光”を取り込むための窓です。

 

この家の北側には手付かずの森があります、ここを最大限に活かしたい。

「南に開口部を」というのが設計のセオリーですが、それは今回捨てました。

 

お寺の本堂に入るといつも思うんです。

光は、照らすものではなく、満ちるものなんだと。

 

北の大窓から入る柔らかな光は、時間と共に壁を滑り、空間に「静けさ」を降ろしてくれる。

大きな壁にできる影が時を教えてくれる。

だからこの家には吹抜けを設け空と光と空気が、ゆっくりと“家の中を流れるように”仕掛けをつくりました。

 

どこに座っても落ち着き空を望める。

違う部屋に居ても同じ空を見上げる。

もっというなら、子供達が巣立って行っても同じ空を見ているかなぁと想いを馳せる。

何もしていなくても、心がほどけていく

 

暮らしの動線や使い勝手の“正解”ではなく、気配の流れで捉える—そんな設計です。

 

特別なことは、していません。

けれど、この家を訪れた人は皆、最初に驚き、しばらく黙ってからこう言います。

「なんか、いいねぇ」と。

 

その“なんか”の正体を、僕はずっと考えています。

そして、これからも、その“なんか”を設計し続けていくと思います。

 

最初の住宅は、この先の基準になりました。

この家のように、「静かに、強く。」そんな空間を、これからもつくっていきたいと思っています。

 

ホテルのように暮らす

北の大窓から景色を望む、一年中表情を変える木々、青空と時折ヒコーキ雲が描かれる空。

気だるい雨の時期も水滴がなんとも言えない哀愁を感じさせます、大人も子供も感性が育まれる空間です。

ロビーから別室へ

一階のリビングロビーから二階の個室へ、さながらホテルの移動のように。

毎日繰り返す所作がその人をつくり上げると聞きます、エレガントな日々を送ることで高貴な気品を自然と身に纏う事でしょう、

特別なことは何もせず丁寧に過ごせば良いだけです。

必要な余白

必要な余白とは様々ですが、この家に限ってはアプローチがその一つです。

部屋や役割を設けず未来のために曖昧にしておく、最初この家に犬はいませんでした、縁があり保護犬を引き取ることになりましたが

余白を残しておく事で、まるで最初から犬を飼っていたかのような生活が可能になりました。愛犬もここでゆっくり寝たり、パトロールをしたりと一日を彩る、ここもまた我が家にとって、外せない半屋外の空間です。

アプローチは深く

この家は二世帯なのでこちらは親世帯のアプローチです。

お寺の軒の様に深くすることで陰が出来、こもり感が生まれます。意外と外からも見えづらくなりますので、父は読書を楽しんだり室内に入らずとも、孫達がおしゃべりしに来たり愛犬がイタズラしに来たりと微笑ましい出来事がこのアプローチで起こっています。

階段

階段を昇降する装置とは考えていません。

座ったり、本を読んだり、植物を置いてみたり、階段を上がれば吹き抜けと連動し部屋や外の景色の見え方も変わります。

暑い日には愛犬が土間でよく寝るので寝顔を見に自然と、ここに家族が集まります、階段も置く場所によっては

装置にも生活の舞台にもなると思います。

今は子供部屋

便宜上、今は子供部屋です。

成長の早い子供達はすぐに巣立っていき、おそらく空っぽの方が長い時間になるでしょう。

部屋として捉えるよりも“場“として考えた方が想像力は膨らむのかもしれません、くつろぎの場、穏やかな場、賑やかな場。

それに習うと今は子供の成長を育む場です。

住宅の根にあるもの

何かをデザインする時、僕の中には社寺建築で培った空間の感覚がいつもある。

光の入れ方、余白の取り方、四季との対話。

人が静かに呼吸できる場所を作る技術はこの現場で育まれてきました。

 

「人が集う」「静けさがある」「時間が滞在する」

そんな空間の基本は、社寺の設計で体に染み込んだ。

僕にとっては“古さ“ではなく“深さ“です。

建築家とは

建築士や設計者と呼ばれたりもしますが、いわゆる図面や設計する人間とは少し違う気がします。

もっと自由で楽しい発想を思い描き空間を考える、アイディアや工夫次第で人をワクワクさせるそんな人種だと思います。

 

喜怒哀楽のある毎日

悲しい出来事があった日や、嬉しい事があった日、日常は当たり前じゃなく特別です

自分の家のお気に入りの空間で時を刻む、

そんな場所を、いつも考え住み手が楽しめる空間を想像し、実現させる人たちの事を“建築家”と呼ぶのだと思います。

ご縁があれば